43-衆-文教委員会-20号 昭和38年06月03日

 

昭和三十八年六月三日(月曜日)

   午前十時三十九分開議

        参  考  人

        (大阪書籍株式会社取締役社長)      前田 隆一君

        (株式会社三重県教科書特約供給所取締役社長)      別所 信一君

        (名古屋市教育委員会事務局教務部長)    辻  晃一君

        (静岡県教育委員会教育長)  鈴木 健一君

        (日本出版労働組合協議会副委員長)     豊田 匡介君

        (東京教育大学教授)     安藤 堯雄君

        (渋谷区立大向小学校校長)  近藤 修博君

        (練馬区立開進第一中学校教諭)      本多 公栄君

        (元教科書編著者)      徳武 敏夫君

        専  門  員 田中  彰君

本日の会議に付した案件

 義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案(内閣提出第一〇九号)

     ――――◇―――――

 

○豊田参考人 参考人としての意見を述べるに先だって一言私の立場について述べなければなりません。それは、私が日本出版労働組合協議会の副執行委員長であり、かつ教科書国家統制粉砕推進会議の専務局長であって、直接的には、二十をこえる産業別、地域別労働組合と民主団体並びに個人を代表し、傘下百万近くの労働者を代表する立場にあるわけですが、それと同時に、本日は、労働組合ではない、一連の教科書出版会社、特にその中小業者の立場からする木法案の問題点も述べなければならないということです。何ゆえそういうことになるかということについては、後ほど質疑の過程でも明らかにしたいと考えますが、まずこのことを最初にお断わりしておきたいと思います。

 それでは参考人としての意見を述べます。第一に、本法案に対する教科書出版労働者、それを含めた出版労働者、日協組をはじめとする教育労働者、多数の学者、文化人の態度は、絶対に反対であるということです。その理由は、この法案が教科書を無償にするための措置法であるとうたいつつも、その実は教科書に対する致命的な国家統制を目的とする以外の何ものでもないからであります。

 その具体的な点については、細部にわたって述べる時間がありませんので、要点だけを申しますが、一つには、本来教師と国民の手にあるべき教科書選定の自由を根本的に否定していることであります。二つには、そこから発して、採択区域、採択期間等を規制して、教科書の数と発行会社の数を強制的に淘汰し、独占集中をはかることによって、発行、供給の面からも現在の検定教科書制度を崩壊せしめ、事実しの国定教科書制度の完了をもたらそうとしていることであります。三つには、教科書発行会社に対する指定制と立ち入り検査によって、教科書作成の自由、教育、出版、言論、思想の自由を著しく脅かしていることであります。四つには、この直接的結果の一つとして、出版労働者、これは教科書並びに直販関係も含みますが、さらにはその関連産業労働者の生活と権利を大きく脅かすおそれがあることであります。五つには、多数の教科書出版会社、特にその中小関係の企業活動を破綻せしめることであります。

 ここで、教科書出版労働者の現状について、その一端を述べたいと思います。

 政府は、教科書が持つ教材としての重要性、教科書発行会社の公共性を云々し、この法案第四章第十八条から第二十二条において、発行者の指定に関し厳重な規制を行なっておりますが、それでは直接教科書の編集、供給に携わっている教科書出版労働者の賃金や労働条件はどうであるかというと、極端な低賃金と長時間労働がその特徴となっております。このことは、一般に、出版、印刷会社とそこに働く労働者やまた執筆君の中では常識となっておりますが、二、三の数字をあげるならば、昨年七月現在で出版労協が調査した結果によれば、教科書大手十社の平均賃金は、三十五歳の男子で三万二千三十六円であります。ところが出版労協全体の平均は、同じ三十五歳男子の場合、四万三千八百五円であり、実に二万円以上の開きがあります。この労協全体の平均という数字の中には、組合員五人とか四人とかの零細企業の非常に低い数字も含まれていることを考えれば、実態はさらに大きな開きがあります。たとえば、教科書以外の大手六社の平均の場合、三十五歳男子で四万五千八百五十三円であり、その差は実に一万二千八百円に達しています。また長時間労働の面では、残業が月百時間から二百時間にも及ぶという例があり、一カ月間に普通の二倍、つまり二カ月分働かされている例が少なくありません。

 このようなことからどういう実態があるかといえば、ある有力会社の編集部員たちの実例ですが、これらの人々は、大学を卒業して勤続二、三年以上過ぎている人々ですが、税込み二万数千円の賃金ではどうしても普通の下宿もできないために、一泊五十円とか百円とかの簡易宿泊所――東京の山谷とか大阪の釜ケ崎にあるようなああいう宿泊所ですが、そういうところに寝泊りして会社に通っております。このようなひどい状態の原因には、もちろん会社側の無理解や低賃金政策というものがあるわけですが、同時に、より根本的には、文部省がそれまで教科書選定権は教師が優先するという教育委員会に対して行なってきた指示――これは一九五二年八月にやっておりますが、それを否定して、教育委員会が優先するという通達を出し、――これは一九五七年七月に出しておりますが、こういう方向によって年々拡大されてきたいわゆる広地域統一採択の推進によって、各社とも営業、宣伝費にばく大な資金を要するようになってきたことが有力な原因となっているのであります。このことは、かつて百数十社あった教科書会社が現在八十六社にまで減少しているということ、それから昭和二十七年以降昭和三十五年まで業界第三位の地位を占めていた二藁株式会社が、三十六年度採択において五百万冊の減少により六億といわれる赤嘘をかかえてついに倒産し、合併されてしまったことをあげても明らかであると思います。つまり、広域採択が教科書出版労働者にとってはどんなに過酷なものであるか、それは、平時においては極端な低賃金と非人間的な長時間労働の原因となり、しかもその採択合戦で一歩つまずけば、たちまち首切り合理化となって襲いかかるものであるということがいえるわけであります。

 こういう点から見ても、本法案の採択地域並びに採択期間にかかわる規制が教科書会社の企業間競争をますます激化させ、労働者にはきびしい労働強化として重くのしかかり、必然的に発行会社の数をとことんまでしぼり上げることは火を見るよりも明らかであります。そしてその被害は、当然中小企業に集中的にあらわれ、中小企業殺しの機能を遺憾なく発揮するでありましょうが、さきの二葉の例にもあるごとく、ひいては大手独占的の各社にも波及して、労働者の大量の失業、教科書業界の荒廃をも招くでありましょう。

 しかし、ここでどうしても一言しておかなければならないことは、教科書編集者としての立場にある多くの労働者の長年の悩みと苦しみについてであります。それは、ほかならぬ教科書内容の反動化の問題であります。この点に関しては、ほかの参傍人も述べると思いますが、一九五六年六月に、かつての教科書法案が審議未了、廃案になったにもかかわらず、その年の十一月に教科書調査官が設置され、五八年には検定基準が改正され、その翌年の五九年には、昭和三十六年度用小学校新教科書が第一次検定において実に八二%の不合格を出したことであります。あるいは二次検定で救済したと述べる向きもあるかもしれませんが、問題は、この検定の内容であり、その思想検閲的性格であります。ほんの一例を引いても、「日本国憲法は、また、日本は永久に戦争はしないということを宣言しました。だから、これからは、どんな理由でも、軍備はいっさいもってはならないということになりました。」という記述に対して、憲法第九条については解釈がいろいろあるのだから、この表現は一方的である、訂正せよと要求しております。そして教科書の記述は、その後、「この憲法は、完全に戦争を放棄し、軍備をもたないことを示した世界で最初の憲法である。けれども、二つの分かれた世界の中で、平和国家として進んでいく日本の歩みは決してなまやさしいものではない。」というようなものから、さらにわが国の憲法では、わが国はどこの国とも仲よく交わって、自分から進んで戦争をしないということがはっきりきめてありますというように、変遷していっている事実があるということであります。教科書編集者としての良心から、このような傾向に抵抗し、抗議した人々は、少なからずありましたが、発行会社に対して検定合否という生殺与奪の権限を持つ文部省をおそれる業者は、このような編集者あるいは執筆者を年々排除し、企業として生きるために一歩々々後退を続けております。

 しかるに本法案では、これらに加えて、採択地域、採択期間という二重、三重の統制のみでなく、指定制と立ち入り検査という、いわば四重、五重の統制を加えてきております。これではもはや教科書は民編といっても、形式だけで、名実ともに国定に事実上移行することは明らかであります。

 このような状況に面して、法案通過を見越した一部業者、特に大手の二、三社では、内部からの批判の声を押え、将来の合理化も考慮に置いて、そこの労働組合人事に介入したり、憲法、労組法にも公然と違反するような就業規則を出したりして、労働者と労働組合により一そう強い圧迫を加えてきております。

 そして教育委員会月報正月矛に載った歴史調査官村尾次郎の一文にあるごとく、みずからが調査官という立場にあることを知りつつ、皇国史観に立つ独断論を展開して、しかも今後新しくされる教科書には、筆者は大いなる期待を持つというのであっては、検定に対する自己規制、社内検閲はますます強化され、良心的編集者の第二、第三の犠牲者も考えられる次第であります。

 最後に、本法案を貫く国家統制の強い糸は、決して案文にのみあるというのではなしに、諸沢教科書課長の昨年八月、本年三月の言動に見られるごとく、行政指導的やり口の中で着々実態が進められているということ、そのことと、本法案中で、十七条に見られるごとくきわめて重大な事項が、政令への委任条項になっていることをあわせ考えるとき、本法案の危険性はきわめて大きく、まさに教科書国家統制法案であると考えざるを得ないのであります。

 以上述べてきた理由から、本法案については、廃案となし、憲法、教育基本法の精神に立って、無条件に即時全面的な教科書の無償を実施することこそ、至当であると考えます。