40-衆-内閣委員会-23号 昭和37年04月04日

 

昭和三十七年四月四日(水曜日)

    午前十時五十九分開議

 

本日の会議に付した案件

 経済企画庁設置法の一部を改正する法律案(内閣提出第二二号)

 行政管理庁設置法等の一部を改正する法律案(内閣提出第二七号)

 科学技術庁設置法の一部を改正する法律案(内閣提出第六〇号)

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○石山委員 民衆の声を聞くということ、民衆の場合には、系統だった問題を提案なさる方も相当いるだろうと思いますけれども、おおむねはここが不自由だというふうな言い方だろうと思う。これは前からやって大へん成績を上げておられる苦情処理の問題ともからんでくるだろうと思いますが、これはやはりこれとして、私はここが本質的な問題だと思っておりません。行管が苦情処理にうき身をやつすということはいかぬと思っておるのです。しかし、ここが本質ではないと思っているのだけれども、今の日本の政治機構からすれば、国民の各層の人々の行政に対する不服というものは、行管でめんどうを見て上げるしかないと思うのですが、ここに力を入れて、行管の機構全般の問題に対する能率というものを見落としてはならないと思う。ここに力を注ぐということは危険だということをこの前も申し上げたのですが、地方へ回りますと、地方の局ではかなりこれに力を入れているようです。いいことですけれども、これが本質でないということを、私はこの際も一応言っておきたいと思うのです。

 国費を効果的に使うという意味で、一つ聞きたい点がございますが、内閣の総理府から来ておられるでしょうか。−私どもに無料で配られております「フォト」というのは、私どもいわゆる国費をもって発刊されている雑誌だと思うのですが、違いますか。

 

○三枝説明員 お答え申し上げます。

 御質問の通りございます。国費をもって発刊しております。

 

○石山委員 政府が発刊される書籍あるいは雑誌類には「政府の窓」というのもございますね。ああいうのは、政府が大きな腹がまえでもってPRをするとすれば、飾らない現実を報告するということも一つだと思います。もう一つは、政府の持っている考え方を国民各層にお知らせをしたい、こういうものだと思うのですね。政府に大きな寛容度があれば、現実をそのまま伝えるという一つの手、もう一つは、政府の持っている考え方を国民各層へ知っていただきたいということ、この二つと違いますか。

 

○三枝説明員 お答えします。

 ちょっと先ほどの問題に戻りますが、「フォト」の場合は、一部こちらが国費をもって買い上げているという意味で、国費という言葉を使いました。

 それから、今御指摘の点でありますが、私ども政府の広報活動を推進する場合に、基本的な方針として、お説の通り、政府の施策を率直に国民にお知らせするというところに置いております。しかし、その活動を具体的に進める場合、たとえば出版活動あるいは放送活動、そういった場合に、必要に応じてはその施策に関する意見とかあるいは批判というものを取り入れまして、その施策に関する問題点を明らかにする場合があるのであります。そういう意味で、政府の考えている施策のみをある出版物に全部盛り込んでいくという工合にはならないのでございます。

 

○石山委員 私、いつか、この席であったかどうかわかりませんけれども、政府の関係する刊行物が、特定の政治評論家に壟断されているきらいがあるというふうに申し上げていたと思いますが、「政府の窓」及び「フォト」等見ますると、その感が非常に深いのでございます。あなたのおっしゃることによりますと、必ずしも政府の持っている考え方を普及するという目的だけではないのだ、批判も承るのだ――雑誌編集としては当然でしょう。批判も承るというのですが、その批判の承り方が特定のグループ、特定のものを考える方々で、やはり国費を投じた刊行物にいつも同じような顔ぶれが載ってくるということは、私たちとしては納得ができないわけなのです。そういう編集の指示のようなものは、政府としてはお金を出しっぱなしにして、この雑誌の出ているのは、時事画報社あるいは時事通信社という名前のようですが、ここに全部おまかせをしているということになるのでしょうか。

 

○三枝説明員 お答えします。

 この「フォト」の一番うしろにも明記しておりますように、総理府編集となっております。それから発行所としては社団法人の時事画報社、発売所は時事通信社、そういうことになっております。ただいま御質問の、特定の者だけの意見あるいは批判をのみ取り入れておる、そうして施策そのものを明らかにするということでないかどうかということでございますが、私どもとしましては、その施策に関する問題点を明らかにして、国民がその施策そのものをよく理解する、施策の内容を把握するということのために、その施策についていろいろ有力な意見、批判というものがありますから、それをなるべく広く取り入れるようにして、施策を明らかにするということで進めております。

 

○石山委員 たとえば軍事問題、再軍備を強化するというふうな立場になりますと、賛成の方だけを出しております。反対の側の人は一人も出たことがない、それはどういうわけなんでしょう。たとえば批判というものを許される場合ならば、そういうふうにならなければいかぬと思う。今度の再軍備の費用というものは妥当なものであるというふうな賛成の方、それは対談の形式で出しております。それじゃあなたの言われることをそのまま採用するとするならば、反対側の人も出すことによって事態の究明が明らかになるはずなのです。賛成側だけやったら、くさいものにふたをする、痛いところは突つかないということになるでしょう。事態の究明には賛成者だけでは役に立たぬわけです。反対者は出ておりませんよ。私は政府の刊行物はなるべく詳細に見ているのですが、一ぺんもそういう立場の人は登場しておりません。今回私が川島長官が来ている前で特にこの問題を取り上げたいということは、四月一日号の「フォト」に、「社会の進運と行政整理」という問題で、有明な人が書いているわけです。これはお話じゃないんだ。文章なんだ。文章だから、私はかなりに問題を提起していると見ております。その提起の仕方が。今まで川島さんがおっしゃっていることとは、全然と言ってもいいほど反対の表明をしておる。その点で、私は総理府のやり方は実にりっぱだったと思うのです。だけれども、私は、この行政整理だけは政府の反対者を出しているところに、奇妙な感に打たれるわけです。たとえば川島長官は、首を切らないけれども、配置転換はあり得るかもしらぬというふうな微妙な答弁をしておる。しかし、この筆者によれば、配置転換などは今ごろあり得ないと言っているのだ。文章を読んでみましょう。「昔はいわゆる配置転換ということによって、それをなしとげることが出来たけれども、今日は特別な知識とか経験とか、あるいは特別な才能がなければ仕事は出来ないような、専門的にせまく深いことを要求する時代になった。」というふうに限定している。配置転換は不可能だと言っているのです。それから川島長官の言明によれば、首を切らないと言っている。しかし、この文章によれば、「元来行政機構に関する問題は平凡なことであって、だれがやっても大抵似たような結論が出る。」「行政整理を行って人員を減らすということに決まっている。」と言っておる。今度の七人委員会というものは、完全に政府の半分は行政整理をやって首を切らせるということを盛んに宣伝しているのじゃないですか。ですから、せんだって、佐藤発言に対して、私らが少しく問題を提起して反省を願った。この問題に対して、彼はどう言っているか。「今度国会で空騒ぎをしている「人員整理問題」」なんて、まことにあほうのきわみであると言っている。ですから、われわれが真剣に川島長官と一緒にやりとりをしているのが、総理府編集の雑誌によって明らかに否定をされているのじゃありませんか。非常に中立的で、寛容でよろしいのですけれども、当面問題が起きていることに対して、こういうふうな問題を提起する批評家、これは毎度出てくる批評家なんです。今までは全部政府に賛成をしていたこの批評家は、今度この行革に対してだけ川島長官と全然反対なことを言っている。政府の国会における答弁と反対なことを言っている。国会の質疑応答はあほうなようなことを言っている。次に、私は残念に思うのは、官吏のことを非常に批判をしているのですが、その官吏に対する批判も、この人は毒舌家で有名ですが、実にひどいことを言っているのです。官吏は、「あまり能率を上げたり、あるいは同僚をぬきん出て仕事をさっさと運ぶということは、いわば仲間に対する不道徳行為になる。」と言っている。これは文章ですよ。もしほんとうにやるとすれば、「官僚機構そのものにヒビが入ったり、いろんな矛盾が生じてくる。」だから、官吏はなまけ者にならなければならぬと限定している。次に、言葉を続けてこう言っている。「今日の行政の能率は、官僚外の一日行程が十里(四十キロ)平均であるなら、その十分の一ならかなりいい方で、あるいは、もっと低いものではないかと思う。」こういうふうに言っておる。これによると、十分の一という。それであったら、私はここで川島長官にお聞きしたい。何で今回のように二万幾千もふやすのですか。こんなに悪い官吏であるならば、こんな非能率なものであるならば、何で今さら――僕ら口をすっぱくして言っておる。七人委員会が出発した暁においては、局その他は設置してはいけないというふうな極言をして言ったにもかかわらず、おやりになった。しかも、今まで政府に味方をしていると信じていた政治評論家から、このような極言のような言葉で問題が全部ひっくり返されている。この場合、私は川島長官に対して、いいとか悪いとか言っているのではない。われわれが国会の中で真剣に質疑応答をしてやっている問題に対して、実に痛烈な批判を加えている論者がいるということ、これはいていいですよ。論者がいるということなんだ。その論者が、国費によって総理府の編集にかかわる雑誌に、問題が今まだちょっと進んでいる先に、もうすでに行革というものは首切りに通ずるものだ、そうでなければならぬ、配置転換などは昔の話であって、今の場合にはあり得ないではないか、こういうふうに言っておる。室長、あなたはこの文章をお読みになったですか。(三枝説明員「委員長」と呼ぶ)まだ私質問している。そんな不作法だからだめですよ。あなた、われわれをなめてかかっているからでしょう。私は政府の書類と申しませんよ。国費を効果的に使わなければならない書類でございます。それに関して、政府側も納得し、われわれも納得していたことに対して、全然反対なことを書く人、こういう人を選んだ意図は、一体どこにあるでございましょう。

 

○三枝説明員 お答えいたします。

 先ほども申し上げましたが、私どもの広報活動を実際にやる場合には、政府の施策だけを、たとえば賛成者のみの意見を全部記事にして出す場合も考えられます。しかし、問題によりましては、全然反対の意見が民間にある場合、これを取り上げることによって、施策そのものの問題点、あるいはそのあとに出す政府の施策そのものを浮き彫りにさせるという場合もあろうかと思います。むしろ、今いろいろな出版物の場合を申し上げますが、出版物が民間に出ている場合、私どもとしましては、せっかく国費を使いまして出す以上は、国民の方に読んでもらわなければならない。出しても、それはおもしろくない、政府の一方的な言い分だから、これはもうきまり切っているというようなことを言って、せっかくお送りしても、これをたなに上げておくということでは、広報の効果が十分に上がらないと思います。本件の場合、小汀さんは、行政整理についていろいろ本なども出しておりますし、関心を持っておられる。特に個人の方に書いてもらう場合は、ここにもありますように、署名入りで、しかも原文のまま、その個人の方の責任を持った記事であるということをはっきりさせて出しております。従来にもやはり載せた場合がありますが、ある施策の政府側の意見を出す前に、全然反対のものを出しまして、そして、そのあとで施策そのものを出していくという場合があります。また、放送の場合などは、特に対談とかなんとかの場合に、民間の有力な反対意見その他を全部計算に入れて問題を出していくタレントを選んでいった方が、いろいろな効果測定その他をやりました場合に、はるかに効果的になっております。そういう観点で、今回の場合、署名入りで原文のまま、特にこれは問題が大きいのでございますが、こういう有力な意見もあるということをまず出しておいて、そのあとで次第に政府の施策も明らかにしていく、そういう観点で取り上げたのでございます。

 

○石山委員 そうすると、これは今の政府の持っている行政改革に対する思想、川島長官の持っているものの考え方で、こういう批判もあることを是認しているわけですか。

 

○三枝説明員 現在、この行政整理の問題につきまして、民間にいろいろな意見がございますが、その一つの有力な意見として、こういうような意見があるという事実をそのままお知らせしたのでございます。

 

○石山委員 そうすれば、この点に関してあなたは賛成も不賛成も全然お考えにならないで、特定の人をお選びになったということですか。

 

○三枝説明員 私どもが取り上げましたのは、政府の広報活動の効果を上げるために、換言しますと、この記事自体が国民の皆さんに読まれて、問題点が明らかになり、関心が十分に行きわたったその上で、次に政府の施策を出していく、そういう効果の点で、事実そのものをあげた、そういうことになっております。

 

○石山委員 そうすると、小汀さんの言われる官僚とあなたは違うのだな。非常に有能な官僚ということだ。そういうことを意図してやらしているとすれば、無能ではないね。有能だ。だけれども、私は残念ですよ。不敏にして、今まで「フォト」を見ても、政府に対して反対の意見をずっと書かしたという例をあげてごらんなさい。何ぼあったか、そうしてどんな事項でしたか。

 

○三枝説明員 お答えします。

 たとえば小汀さんにつきましては釜ケ崎の事件が起きましたときに、あれにつきまして、やはり署名入りで記事を書いていただいたことがあります。

  〔草野委員長代理退席、委員長着席〕

そのときに、警察当局と反対の意見を取り上げたことがありまして、そのあとで警察庁長官がまた書いておりまして、問題をはっきりさせております。私どもはこれを出しっぱなしでありませんので、あるいは世論調査、あるいはそのほかの手段をもって、どの程度国民の間に政府の施策が浸透しているか、その効果測定を絶えずやっております。そういうこちらの出しているものが、どういう工合に浸透しているかという観測を絶えずしながら、編集をしておりまして、ただ一方的に強制的に戦前のように出すのならば、これはそれでまた一つの行き方ですが、民主的な現在におきましてはあらゆるものを出す、そういうことであります。

 

○石山委員 たまたま、私は名前を出さないけれども、あなた出しているわけなんだが、このグループだけに書かせれば民主的なのか。「政府の窓」を見てごらんなさいよ。対談者にどういう人が出てきている。政府の施策に対して――民主的というならば、政府のああいう対談問題に、もっと反対側の新しい人を出さなければならぬでしょう。出したことがありますか。あなたうそを言っているのですよ。うそを言ったってだめなんだ、私は知っているのだから。あなた民主的だとかなんとか言ったって、たまたまうまい言葉を使うのだけれども、それはだめですよ。もっとも、こんなことをあなたに言う必要はない。私は総理府長官に言えばいいことなんだけれども、きょう来ておらぬし、あなたがたまたま責任者だから、おそらく人選なんかの下原稿をあなた作るでしょう。だから、それを言っているのですが、私らに言わせれば、たまたまこういう反対意向を出しているということは、行革が行なわれるけれども、行革の姿はこんな姿にしてしまうのだよということを、暗示を与えようとして努力しているように見えるのです。そうでなければ、自民党の派閥の関係で、一部を攻撃してやろう、こういう意図があるのかもしれません。それではわれわれの側の文章をあなたはこの次に確約しますか。われわれがいわゆる首を切らせないで行政改革を行なってみせるのだと強い意欲に燃えている人々に、あなた執筆させるか。そういう意欲を持っているか。再軍備の問題に対して、原子爆弾の問題に対して、政府の施策に対して、河野農相に対して反対の意向を持っている人々に対して、これから執筆をさせるか。そういう意図があるならば、私は、このたびはこれはがまんしておあげする。そうでなくて、たまたまこれだけがそんな格好になったというならば、まことにその意図暗いものがある。あなたの考え方は、能吏かもしらぬけれども、民主的ではないということになります。特定の人に使嗾されてやっているということになる。あなたは書籍を編集するには似合わしからぬ、片寄った古い型の人だと言わざるを得ない。

 

○三枝説明員 お答えします。

 私どもは、絶えず問題の所在を明らかにするために、それに関連するいろいろな意見、批判をできるだけ広く取り上げようとしております。具体的な問題につきましては、いろいろ編集会議をやりまして現在やっております。

 

○田口(誠)委員 関連。民主的に編集されるというならば、これは編集会議か何か作ってやっておられるのですか。

 

○三枝説明員 お答えします。

 大体毎月一回ないし二回各省の広報担当官の会議がありまして。その席上、各省から要望する広報のテーマが出ます。それをいろいろ検討しまして、あるものは出版用、あるものは放送用という工合に分けまして整理をして、それから今度個々のテーマについて、それぞれの媒体をきめた場合に、また編集会議その他をいたします。