40-参-地方行政委員会-12号 昭和37年03月06日

 

昭和三十七年三月六日(火曜日)

   午前十時四十分開会

 

  本日の会議に付した案件

○住居表示に関する法律案(内閣提出)

○銃砲刀剣類等所持取締法の一部を改正する法律案(内閣提出)

○公営企業金融公庫等の一部を改正する法律案(内閣提出、衆議院送付)

○昭和三十六年度分として交付すべき地方交付税の総額の特例に関する法律案(内閣提出、衆議院送付)

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○矢嶋三義君 

 最後の質問は、警察官がよく――警察官のやり方も悪いのだろうが、同じ年令層の諸君から犬だと言われたり、ののしられてやり合っているさまは、ほんとうに同じ民族か、同じ東京に住んでいる者かと、ほんとうに寒々とした感じがするのですね。これは、それぞれの生い立ちなり、今置かれておる環境の差からくるものだから、機動隊、警察官のお若い方々とちょうど同じ年代のが大学生あたりの、何といいますか、僕らに理解しにくいといいますか、それらの反発感というものはすごいものがあると僕は思うのです。こういう点の原因の究明から、解除に向かって、配慮していただきたいと思う。と同時に、これはもうきょうは時間がないからやめますけれども、給与の問題があると思うのですね。私は、私見を申し述べて、あなたの意見を聞いておきたいと思うのです。

 僕は、率直に言って、警察官の給与はうんと上げてしかるべきだと思う。そうして、質のいい人が集まるようにして、そうして、社会の秩序維持と、国民、市民の生命、財産を守ってもらう。これがいかに、われわれの住む社会国家を安全なものに、楽しいものにする要素になるかと思うのです。そういう点からいうと、警察官の給与は自衛官の給与よりよくしていいのだと思うのです。局地戦争とか大戦争があった場合には別ですよ。平素は、職務の困難性、それから危険性なんかからいったら、自衛隊の諸君と警察官の諸君は比較にならないと思うのです。警察官は、制服を着ていようが、和服であろうが、警察手帳を身に持っておったら常に責任が伴うわけで、しょっちゅう緊張していなければならぬと思うのです。それは自衛隊の諸君も、公務員としてその点もありますけれども、しかし危険度というものは、局地戦争か何かが起こった場合以外は、平素の訓練段階においては、危険度というものは、武器の操縦さえ誤らなかったら、私はたいしたことはないと思うのです。これは、警察官の職務執行にあたっての注意力、こういうものの消耗率というものは比較にならないですよ。そういうものは、反対給付として給与に反映してこなければならないのですよ。だから、自衛官と警察官と比較しているのですよ。何か事ある場合に、国内出動でもよろしい、災害出動でもよろしい、そういう場合は自衛官は優遇しなければならない、危険が伴うのですから。平素の訓練段階において国家公務員になっているにおいては、私は警察官より待遇がいいというのはおかしいと思う。警官察のほうがよくなければならないと思う、給与の原則からいって。そういう点で、警察官のほうにやはりいい人が集まらない。それで、職務執行もうまくできないというような感じがする。それがひいては税外負担――近ごろよくなっているけれども、映画館にただで入るとか、ささやかな飲食居に行ってうどんをただで食べるとか、強制はしなくても出さざるを得ないようにうまくしむけていく。これはある意味において税外負担だと思う。そういう形は、戦後の警察官は少なくなってきたけれども、それでもあるのです。そういうことから、軽侮の念を持ってくるわけです。こういう点、もう新憲法ができて二十年になんなんとするのですから、やはり前進しなければならぬのですよ。その根本は、僕は警察官の待遇問題にあると思うのですよ。こういう点について、警察庁長官がどういう御見解を持っておられるか承って、私は本法律案に対する質問は終わります。

 

○政府委員(柏村信雄君) 非常にありがたい御言葉をいただいたわけでありますが、警察官の待遇が改善されるということは、単に今の警察官に希望を与え、また報いるということだけでなしに、大量観察的に見ますれば、警察官にいい素質の者が採用できる、ますます責任を感じてりっぱに仕事をしていくということになり、国民全体としても私は非常にプラスな面があるのではないかというふうに考えるわけでございまして、第一線警察官の待遇改善につきましては、事あるごとに要望をいたし、逐次改善をしてきておるわけでございますが、お話のとおり、まだ私は十分とは申せないと思います。今後も、この点については、人事院とか、自治省とか、大蔵省というものと十分に連絡をとりつつ、改善に努めて参りたいと思います。また、先ほどお話しの学生と警察の非常な反感的な空気というものが侍に目立って出る場合もございまするけれども、私は全体的にそういう強い反発意識というものが平素から非常に激化しているというふうには考えないわけでございます。ただやはり、取り締まる面、また法をある程度犯しても自分らが特権階級的に動きたいというような人にとっては、その間に事象事象に応じて非常な反発をする場合もございます。

 まあこれは一例でございますが、たとえば山谷で事件が起こりまして、あのときは警察官と山谷の住民とが非常な対立したような印象を受けたわけでございますが、その後やはり警察としても、あたたかい気持、理解ある態度で臨むようにできるだけ努めておるわけでございまして、最近は相当そういう点も緩和しておる。また、釜ヶ崎についても、ある程度そういうことが言えるのじゃないか。さらに、警視庁の音楽隊等がああいう所に出かけていきまして何回か演奏いたしました場合のその後の状況などを見ますると、非常な親しみを持ってくる。私は、ここで申し上げるのはどうかと思いますけれども、学生と警察の間におきましても、たとえば柔剣道であるとかというものについては、大いに対抗試合をやって、むしろ親睦を増しておる。これがさらに音楽等について、音楽隊等の合同演奏というようなことも一つのそういう親睦の要素が得られるのじゃないか。平素からいろいろな面でそういう反発的な気持をなくしていくという配慮をしていく必要があろうかと思いますが、全体としてそういう宿命的な常時反感を持っているというふうには私は受け取っておらぬのでございますが、なおこの点については、さらに注意をして善処して参りたいと思います。