「ふるさとだより」から… |
三角公園の東にある「ふるさとの家」。当連絡会の監査役本田哲郎氏が責任者であるキリスト教フランシスコ会の運営する施設の近況報告。それは釜ヶ崎の近況報告でもある。 |
「仕事さえあったら・・・」 |
「ふるさとの家」(社会福祉法人)が釜ヶ崎にできて27年になる。高齢の日雇い労働者のための食堂として始まった。
その後、談話室と図書室が加わったが、7年まえ、図書室は、高令者にかぎらず、アブレた労働者のくつろぎのスペースに改められた。
「アブレたら、年寄りも若いもんもいっしょやないか」という労働者からの声に応えてのことであった。
5年まえに食堂をやめた。
バブルがはじげたあとの釜ヶ崎は仕事が極端にへり、野宿をしいられる人が急増していた。ふるさとの家で、いっしょに時間をつぶしながら、金のある人が安い食堂をじょうずに利用し、いちばん安い200円の定食も買えない多くの人が肩身のせまい思いをさせられるようになったためである。
以後、ふるさとの家は、アブレた労働者どうしの情報交換の場、生活相談と釜ヶ崎や他の寄せ場の運動の状況を確認しあう、ふれあいの場のようになっている。
ふるさとの家がいちばん犬事にしていることは、仕事にアブレて野宿をしいられている労働者の思いを、どこまで共有できるか、どこまで同じ側に立った関わりができるかということである。
たしかに、寝るところがないから寝場所がほしい、空腹だからおにぎりがほしい、着替えがないから服がほしい…、こういう気持ちは窮地に立たされた労働者のだれにでもあるだろう。そして、そのことを知った善意のボランティアのだれもが、なんとかしてあげたい、という気持ちになることも自然かもしれない。
しかし、だからといって、さあどうぞと、とりあえずの「代用品」を提供しつづけることはどういうものだろうか。ただで食ベ物や服をさしだされて、複雑な思いにかられない労働者はひとりもいない。手は出す。ありがとうと笑顔もかえす。場合によっては、むらがって奪いあう事態も生じる。
しかし、ほんとうは、そういう自分を、だれよりも自分目身がなさけなく思っていることを、日々、知らされる。みな、「仕事さえあったら…」と胸のうちでつぶやいているのだ。
釜ヶ崎労働者の闘い |
「仕事さえあれば」という労働者の思いを集約して、94年秋に発足した釜ヶ崎で活動する諸団体からなる「反失連」(釜ヶ崎就労・生活保障制度の実現をめざす連絡会)は、おととし、行政にたいする運動のささやかな初穂として、高令者のための「特掃」(特別清掃事業:957名が登録)を引きだした。しかし、規模がちいさく、月にたった一度の現金収入(5700円)のチャンスを提供するにとどまっている。登録者が野宿をしないですむにはほどとおい状況である。
ことし4月から、釜ヶ崎の景気はさらにおちこみ、5月の時点で3万人の労働者にたいして2千数百人分の仕事しか出ないという状況であった。60才、70才の年寄りまでが野宿をしいられていた。
反失連は5月のさいごの一週間、府庁前に労働者600名で野営闘争をおこない、労働部にたいして緊急失業対策を要求。つづいて6月さいしょの一週間は、まいにち釜ヶ崎にある労働センターに陣取って、「市更相」(釜ヶ崎労働者のための福祉の窓口:大阪市立更生相談所)にたいして、寝場所といぶくろの緊急対策を要求しつづけた。行政の回答は、特掃の通年枠を一日あたり「4人分ふやす」、1ヶ月にかぎりセンター清掃の人員を10人ふやす、寝場所については「7月いっぱいセンターの夜間開放」、いぶくろについては「1日一人カンパン5まい、ただし盆あけまで」というものであった。
夜間開放されたセンターのコンクリートの床に、反失連サイドでブルーシートとゴザを用意し、毎晩800人前後の労働者がからだをよこたえた。カンパンにならぶ人は1200名をこえた。行政は釜ヶ崎の労働者を、のら犬、公園のハトぐらいにしか見ていないことが、これではっきりしたと思う。
秋口にさしかかる現在でも、仕事量は3千数百どまりで、千人ちかい労働者が炊き出しにならび、市内全域に拡散した野宿の労働者の数は3000〜4000人と推測される。毎年、行路死(ゆきだおれ)をとげる人の数は600をこえており、餓死、凍死の事例もすくなくない。人権行政をうたい文句にかかげる大阪府・市は、どう言い訳をするのだろうか。
はり治療担当の職員の目から見た釜ヶ崎 |
「ここ、ふるさとの家の二階は若い人が比較的多いですから、仕事がなくなると、一日歩いてばかりでと、足を腫らし、足裏に水泡をつくって治療にたずねてくる人が多いです。おなかを満たすものがなければ、水で代用するので、水分の摂取量は多くなります。横になることなく歩きっぱなしだったり、オールナイトの映画館で座位ですごすと、むくみが起こってきます。夜中せめて、からだをゆっくりのばして休息ができたらよいのに、と思います。
先日、腹を切ると働けなくなるからと言って、病院を出てきた労働者がありました。じっさいもっともなことで、腹を手術した人たちは、退院してもすぐ仕事には行けないので、野宿をしいられます。それで、痛いのをがまんして、具合がよさそうなときに仕事に行くほうが生活できるわけです。でも、今はほとんど仕事がなくて、みな野宿になってしまいます。「おれのまわりで、仲間がぽろぽろ死んでいく。そろそろおれの番がまわってくるなあ」ということばを聞くのはたまりません。
手術をすすめたくても、安田病院のような病院にしか回されないのですから、術後が悲惨だということもあって、むりにすすめることもできず、痛みがひどくなったときに救急を使うしかないのかと、手痛い現実です。それをくりかえしていくと、そのうち救急車ものせてくれなくなり、本人も、病院に行ってもちゃんと診てもらえるわけでもないからということで、公園のかたすみ、高架下で、ひっそりと一人で死んでいくことを、受入れてしまうのでしょう。
先日、新聞にありましたが、入院先をえらべず、病院に文句も言えない、こうした弱い立場の人たちの受け皿が日本の社会には用意されていないとのこと。しかし、用意されていないですますのではなく、お金のない弱い立場の人たちにも、適切な治療がおこなわれていくベきで、要求していかなければいけないことでしょう」。
(園田「ふるさとだより』6月号)
談話室担当職員の目から見た釜ヶ崎 |
「先日、市の更生相談所の前で、面接相談の対応の改善やいくつかの要求をもって座り込みをしたときは、目を見張るほどの私服警官が取り囲み、一触即発の緊張した空気がながれました。仕事も福祉も受けられず、野宿をよぎなくされ、食ベるにも事欠き、そこまで追い詰められているのです。「仕事がないから飯食われへんし、野宿してんのや。わしらに銀行強盗や盗みをせえ言うんか。そんなことできるんやったら、こんな所にきてないわ」と訴えます。痛烈です。だれも好きこのんで、自分のしんどい生活を言いたくないでしょう。
最近もなんどかデモに参加しましたが、2時間くらい歩いて、みんなといっしょに「ワッショイ」と声をあげてると、いつのまにか自分の声ばかり目立って、「エッ?」とまわりを見回すと、足の悪い人、荷物のおもそうな人、お腹のすいた人、破れた靴をはいた人、暑そうな服を着ている人…なんだか「ふつう」の生活をしている自分が恥ずかしくなります。手に持ってみるとけっこう重たいムシロ旗を、重いとも言わず、誇らしくかかげて進む人にも頭がさがります。こんな隊列の左右を、制服・安全靴姿で、体格のりっぱな機動隊が、大人数で取り囲んでいるのです」。
(マーコ「ふるさとだより」6月号)。
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