新今宮小・中学校の跡地利用を考える会
釜ヶ崎生活センターを創る会
足 跡
- 新今宮中・小学校の跡地を巡って/大人と子供のセンターとは(1984年7月6日・釜ヶ崎夜間学校ニュース=で、“会館設立運動がいましばらく道遠いとしても、その運動の主旨はあらゆるチャンスを利用して、広く訴え、部分的なものであれ実現をはかっていかなければならないと思います。/そのチャンスとして新今宮中・小学校の跡地利用をめぐる動きがあります。/新今宮中・小学校は釜ヶ崎の不就学・未就学児童のためにつくられたのですが、生徒がいなくなり、今年三月に廃校となって、現在は今宮中・萩之茶屋小学校の分校という形になっています。しかし、マンモス校でもないのに分校をつくったのですから、充分に活用される見込みはありません。そこで、−わしら日雇いにも使わせろという要求を出そうという話があります。それについて考えてみましょう。
- 釜ヶ崎差別と闘う連絡会(準)/市民館での世話人会に参加を!/新今宮小・中学校の跡地問題/=釜ヶ崎の労働者と子供のために施設解放を!=(1984年7月13日・釜ヶ崎夜間学校ニュース=先週の夜間学校は新今宮中・小学校を労働者や子供に解放させる要求について話をしました。その中では、安い食堂が必要だ、大人と子供がつきあうためのルールづくりをしなければならない、などがだされました。−/釜ヶ崎差別と闘う連絡会は−新今宮中・小学校の跡地問題については、結成当時から労働者と子供に解放させる運動に取り組むことを決めていましたが、今春、今中・萩小の分校化が正式決定されたのを受けて、いよいよ具体的な要求をまとめ、大阪市に提出する準備を進めています。/今日の世話人会では、要求の主旨書(なぜ大人と子供のセンターが釜に必要なのか)、要求事項(どのようなことに使わせろと要求するのか)、などを検討し、確定します。そして、どのように運動を進めていくかも話し合います。/世話人会には、学校の先生や部落解放を闘う人たち、釜で活動するキリスト者などが結集しています。もちろん、釜日労・争議団や夜間学校のメンバーも参加しています−)
- 今日は夜間学校休みます/仲間同士、そして大人と子./連帯の場創設会議の為(1984年10月5日・夜間学校ニュース=『新今宮小・中学校跡地利用についての署名運動懇談会−すでにご承知のとおり、8月24日、9月10日と2回にわたって関係各位と懇談をしてきました。つきましては、総評西成地協幹事会(10月4日)の決定をまって、署名運動についての最終的な意志統一を行いたいと思います。ぜひご出席下さるようご案内いたします。/市教組南大阪支部岡林治』『私たちの要求/(A)子どものために 1.学童保育・子ども会の活動の場 2.短期間の子どもの保護・宿泊施設、教育相談室 3.近隣の学校の教職員・子どもの活動の場 (B)地域住民・労働者のために Aの要求実現と関連して、その延長線上に必要な社会教育の場』/字面を読んだだけでは、子ども中心の話で大人はあんまり関係無いように見えますが、釜日労や夜間学校、キリスト教協友会など釜ヶ崎で活動を続けている諸団体は、大人中心、子供中心、といったものでなく、大人と子供が共に使い、共に生きる場として“跡地”利用を考えており、今後、共に運動を続けていく総評系の諸団体に強く訴えています。/子どもたちを子どもたちだけの遊び場に囲い込むことでは、釜ヶ崎の子どもがかかえる問題は解決しない。釜ヶ崎の多くの大人、労働者のかかえる問題の解決と関連づけ、労働者の自律・共生と結びつかなくてはならない。)
- 新今宮小中学校の発展的利用/もっとも必要とする者/それが主人公たるべし(1984年10月12日・釜ヶ崎夜間学校ニュース=先週の金曜日(10月5日)は、新今宮小・中学校の跡地利用についての署名運動懇談会が西成区役所で開かれ、−/参加者は、総評西成地協1名、市教組南大阪支部4名、全港湾建設支部西成分会2名、釜日労・争議団1名、釜ヶ崎差別と闘う連絡会1名、子どもの里2名、協友会2名、夜間学校3名、母の会(仮称)2名・・・/この日、主に話し合われたのは、要求を実現するための署名運動について・・。/どういう経過かよくわからないが、総評グループの中で署名運動をしたり、要求を大阪市に提出するのには責任者をはっきりさせた方がいいということになって、その責任者には市教組南大阪支部がなるということが決められたようだ。/その結果、署名運動の呼びかけ人は市教組南大阪支部がなり、他は賛同人という形にしたいがどうか、という提案がなされた。(西成分会はこれに賛成した。)/釜日労、夜間学校、差別と闘う連絡会は、呼びかけ人と賛同人という別け方、とりわけ、今後、新今宮小・中の“跡地”が“解放”された後に、もっぱら主人公として使う子供達や労働者が、運動の“賛同人”として位置付けられることに強く反対しました。/そして、実行委員会をこしらえて署名運動を進めることを提案しました。/結局、この日は話がまとまらず、持ちこしとなりました。/新今宮小・中学校の“跡地”は、大人と子供が共に使い、共に生きる形で使えるように運動を進める、という原則は確認されています。/しかし、使い方の細かなことや、使用主体(使うもの)の集団形成(組織としてのまとまり)が、いまのところあやふやなものであることは否定できません。/総評傘下の労組からすれば、頼りなくて話にならん、悪いようにせんからまかしとけ、といいたくなるところでしょう。/その善意(?)はよくわかるにしても、釜ヶ崎も一つの集団としてのまとまりをつくりえるし、運動を進めていくことができる。(今の不充分さは将来にわたっての不可能を意味しない。)/釜の中に子供の、大人の、会館を作り、運営する主人公は、やはり釜ヶ崎の労働者である。自覚しよう。)
- 釜ヶ崎センターをめざして/現地実行委員会創設/我々にできることをやるために(1984年10月19日・釜ヶ崎夜間学校ニュース=これまでの経過は前回のビラでも報告したが、簡単に言えば、要求をまとめ、署名運動を展開するにあたって、その呼びかけ責任者を誰にするかで意見がわかれると同時に、現場(釜ヶ崎で“跡地”利用をおこなおうとする者)での取り組みのおくれと集団形成の必要なことも浮かびあがってきた。/そこで、夜間学校だけでなく、他の団体・諸個人と共に、新今宮小中学校の“跡地”を“解放”させるための釜ヶ崎現地レベルでの連絡会、あるいは実行委員会をこしらえようということになり、そのための初会合が今日というわけだ。/みんなに関係がないどころか、おおあり名古屋なので参加を!)
- 新今宮小・中学校の跡地利用についての意志統一集会ご案内(南大阪発第29号・市教組南大阪支部長岡林治)=9月10日、10月5日と2回にわたり、関係地元諸団体と協議を重ねてまいりましたが、時期も切迫してまいりましたので、以下の通り、最終的な意志統一をはかりたいと存じます。ぜひご参加下さい。<とき・ところ>10月30日(火)午後6時 西成区役所3F <協議事項>@要求署名運動について(用紙の意志統一) A釜ヶ崎の子どものために(仮称)学習会の開催について−以上
- 釜ヶ崎生活センター署名のゆくえ/大阪市の担当する課に主旨説明(4月26日)/近く正式に署名を手渡す予定(1985年5月10日・釜ヶ崎夜間学校ニュース=“新今宮小・中学校”を、釜ヶ崎の子供と大人のために“解放”せよ、という要求実現のための署名運動が行われていることは、すでに多くの仲間が知っていることと思う。/署名は、センターで3千人、釜ヶ崎キリスト教協友会が全国から1万人、市教組南大阪支部が3千人、解同矢田支部(注1:当時のまま表記。ちょっと略しすぎで「部落解放同盟矢田支部」とすべきところ。いくら字数の節約とは言え、ちょっとひどいと26年後の引用にあたり、反省)が1千人と、合計1万7千人集まっている。/よせられた署名を有効に生かすために、先日、釜ヶ崎差別と闘う連絡会議、釜ヶ崎キリスト教協友会、解同矢田支部(注1参照)など、代表6名が大阪市を訪れ、正式交渉前の主旨説明をおこなった。/あらたな情報として、“新今宮小・中学校”は、これまで、今中。萩小の分校という形をとっていたが、本年3月末日に完全廃校となり、管理権は教育委員会から経理局に移っており、今後、どの様に利用するかについて大阪市の中で話し合われている、ということがわかった。/また、市教組南大阪支部から伝えられた話によると、大阪総評においても、正式にこの運動に取り組むことを、会議で検討することになったそうだ。/なんにせよ、話がにぎやかになることはいいことだが、結局、あの場所を使う主体は、釜ヶ崎の子供と大人なのだから、釜の人間がボヤボヤしているわけにはいかないと思う。
- “釜ヶ崎生活センター”を創ろう!/対市交渉前の打合会(1985年6月7日・釜ヶ崎夜間学校ニュース=今日の夜間学校は、新今宮小・中学校の跡地を、釜ヶ崎の大人と子供のために“解放”し、“釜ヶ崎生活センター”をつくれ、という要求実現のための会合に合流します。−/会合に集まるのは、市教組南大阪支部、解同矢田支部(注1参照)、釜ヶ崎キリスト教協友会、釜日労、釜ヶ崎差別と闘う連絡会、地域のお母さんたちなどです。−/6月12日(予定)には、大阪市と第1回目の交渉が持たれようとしています。
- 旧新今宮小・中学校跡地利用/報告会・協議会のご案内=各位殿 皆様には、旧新今宮小中学校跡地利用について 署名にご協力くださり心から感謝いたします。/つきましては、全国から寄せ集められました署名用紙を大阪市長と教育委員会に手渡しますにあたって、協力者の間で話し合いがにつまって参りました。そこで、これまでの経過報告と、今後の運動方針を巡って、協議を行いたいと存じます。/皆様のご意見をいただき、より良い方向が見出せ、又、尚一層の一致協力が強められます為に、ご多忙中とは存じますが、ぜひ ご出席下さいますよう、ご案内致します。<とき>6月7日(金)PM7:00〜<ところ>西成市民館/代表:生活センターを創る会(金井・小柳)
- 釜ヶ崎生活センターニュース(1985年7月1号〜1986年5月4号・釜ヶ崎生活センターを創る会・地区内簡宿を含め全戸配布の努力がなされた)
- 新今宮小中学校跡地利用を!/子ども実態調査は何だったのか・・・(1986年8月29日・釜ヶ崎夜間学校ニュース=釜ヶ崎夏祭りが盛大に行われた次の週に、“子ども実態調査”が実施された。/テレビや新聞で報道されたし、調査にでくわした仲間、見た仲間も多いと思うので、18・19日に何を目的として、どのようにおこなわれたか、しっている仲間も多いことと思う。−/かってはセンターでも署名を集め、たくさんの仲間に協力してもらったし、地区内で各戸ビラ入れもおこなった。/大阪市とも交渉しているが、第1回目の文書回答は、“今後とも研究を続けたい”というもので、あまり、先の見通しのはっきりしないものであった。/跡地は、萩之茶屋小学校の改築工事の間、萩之茶屋小学校として使われていたが、9月からは、再び、ほとんど遊休施設化することもあり、我々の要求の主旨を補強し、より具体化して、再々度大阪市と交渉するために、実態調査は計画され、実施された。)
- 1986年度 施設・設備改善など要求書(新今宮小中学校の跡地利用・事務職員部・婦人部・養護教職員部)大阪市教職員組合南大阪支部
- いのくら要求項目別交渉(新今宮小学校) <とき>昭和61年12月17日(木)15:00〜16:00 <ところ>市役所 第2共通会議室(地下1階)/次第=開会、勤労市民課長挨拶(市側出席者紹介)、団体側代表者挨拶(団体側出席者自己紹介)、要求項目について順次回答、質疑応答・意見等、閉会/新今宮小・中学校跡地利用(市側出席者=教育委員会総務部連絡主幹降矢陽治、民生局総務部庶務課長代理西畑匡裕、市民生活局市民部勤労市民課長宇井靖夫)
- 新今宮小中学校跡地を/大人と子供に“解放”せよ!(1987年2月13日・夜間学校ニュース=2月10日、この件に関して、大阪市と交渉をおこなった。/教育委員会は、跡地利用について、子どものあそびと学習の場として活用して行く方針であるが、具体的なことについては、これから・・・・/民生局は、教育委員会の方の具体案が出て、スペースが確定すれば、それを使って地区の福祉に役立つものとして活用策を考えていきたい。/両者ともに具体にとぼしく、3月末までにある程度具体的な話になるようにすることを決めた。
- 新今宮小・中学校跡地利用問題にかかる交渉 <時>昭和62年6月15日(月)16:00〜17:00 <場所>市役所第1・2共通会議室/次第=開会、前回(5月25日)要請に対する回答、意見交換、閉会/市側出席者(教育委員会総務部降矢陽治連絡主幹・上田武司施設課主査、民生局福祉部物部圭郎保護課長・上野友良保護課施設係長、市民生活局市民部冨永行俊勤労市民課長・津山尚古勤労市民課主査)/回答内容:開放日時=7月の早い時期を目標としていた。全市部局が動くまでは経過措置。利用される子どもは小学生が中心となると思われるので、学校指導が暗くなったら帰宅となっているのでそれにあわせた。/火〜金曜=4〜10月PM4〜6時、11〜3月PM3〜5時。土曜=4〜10月PM2〜6時、11〜3月PM11時30分〜5時。日曜=4〜10月AM10〜PM6時、11〜3月AM10〜PM5時。夏休みも祝日も日曜=AM10〜PM6時。月曜?休み。/対象の子ども=制限は付けない。/名称=「分校 子ども教室」=経過措置、予算のからみがあるので、この名前でいきたい。/障害児者・スロープ・便所=簡便的方法で対応。/指導員=教育委員会にまかせてほしい。/夜間開放=????。
- 新今宮小・中学校跡地利用問題にかかる交渉 <時>昭和62年6月29日(月)16:00〜17:00 <場所>市役所第1・2共通会議室/次第=開会、前回(5月25日)要請に対する回答、意見交換、閉会/市側出席者(教育委員会総務部降矢陽治連絡主幹・上田武司施設課主査、民生局福祉部物部圭郎保護課長・上野友良保護課施設係長、市民生活局市民部冨永行俊勤労市民課長・津山尚古勤労市民課主査)/回答内容:開放日時=7月15日からスタート。「あいりん子ども教室」
- 新今宮小・中跡/『西成子ども教室』に/「考える会」の訴え実る(1987年7月21日毎日新聞)
- 新今宮小中学校跡施設利用問題話し合い(昭和63年7月28日・市役所第5共通会議室)=次第:開会/団体側挨拶/検討状況について説明/意見交換/閉会:市側出席者=教育委員会事務局総務部連絡主幹降矢陽治・施設課主査上田武司、社会教育部企画主幹萩野兼司・社会教育課長代理内藤彌・社会教育課主査鷺島勝・社会教育課主査伊藤公男、指導部初等教育課管理係長岡部昌義、民生局福祉部保護課長物部圭郎・保護課長代理三島浩一・保護課施設係長山田敏幸・高齢化社会対策室高齢者福祉課長代理滝口和夫・高齢者福祉課第1福祉係長安本修生、市民局市民部振興課長代理大戸新治・振興課主査黒石修・勤労市民課長冨永行俊・勤労市民課主査津山尚古・勤労市民課主査相奈良照夫/担当=社会教育部企画主幹(子ども教室−650u、地域の小中学校対象。遊びと学習の場)、社会教育課(図書室−90u、1階北。地域住民を対象)、保護課(高齢病弱者施設、建て増しして1500u)、高齢者福祉課(老人いこいの家・集会所)、振興課(萩之茶屋連合振興会の集会の場)
- 釜ヶ崎に文化の拠点/「跡地」交渉で大きな成果/新今宮小跡地問題(1990年2月21日・大阪市教組)
- 新今宮小中学校跡地に/新今宮文庫/労働者の図書室ができた(1990年3月16日・釜ヶ崎夜間学校ニュース=−新今宮小中学校の跡地利用をめぐっての−大阪市との交渉は、今年の2月で、一応、終わった。/結果は、大満足とはいかなかったが、仲間の使えるスペースがいくらかできたことで、まずまず、といわなければなるまい。/昨日は、図書室・三徳寮を見学させてもらった。/三徳寮は高齢者の保護施設で、ほとんどが、満杯状態だった白雲寮から移ってきた人で、新しい施設ができたからからといって、収容者数が増えたことになっていないのが不満だが、スシ詰めだった人が、少しだけ余裕のあるところへ移れたとしたら、良しとしなければならないだろう。/釜の困っている仲間にもっとも関係がありそうなのは、単泊(一晩あるいは短期収容)のための部屋だが、一部屋に二段ベッドが五つ入っている。一晩に20人分ということになる。あまりにも窮屈。実際に単泊が動き始めたら、なんとか改善してもらわなければならなくなるのではないかと感じた。/元気な仲間でも利用できるのが図書室。これとても、面積・本の量・本の種類など、不満はあるが、まず、皆で利用し、あるいは手持ちの本を寄贈などで利用しきった上で、改善を求めることができるだろう。)夜間学校ニュース裏面:施設配置図